DIARY
2008.1.6「2008.12.27の日記」
6時の目覚ましで起きると車内は予想外に冷え、シュラフから出ている顔部分だけひんやりした。外はマイナス1℃まで冷え込み、断熱効果があまりない自動車なので車内もあまり変わらない温度だろう。ただ、冬山のテントに比べれば「暖かい」部類に入るので快適そのものだった。
朝食はS.A.の食堂でうどん。準備を終え7時頃には出発した。韮崎I.C.を降りると料金は1350円(八王子I.C.より)。夜間割引が効いて半額!その後コンビニで本日の昼用および非常食を購入。登山口の御座石鉱泉には8時前に到着。駐車場には我々の1台のみ。外に出ると風が吹きつけ寒さを感じた。昨日まで非常に強い冬型の気圧配置で、通常日本海側のみの雪が八ヶ岳や南アルプスまで及んでおり、新雪が積もった事は間違いない。天気は回復傾向ではあるが山はまだまだ風が強い状態が続いているのも予想の範囲内であった。登山届けと今晩のテント場代支払いを済ませ8:35に行動を開始した。
登り始めは登山道が埋まってしまうほどの落ち葉の中を進む。雪はなかなか出てこない。鳳凰三山は南アルプスの中でも積雪が少ないという事だ。途中富士山が見えるポイント、標高1900mほどの場所で昼食を取った。今回は500ccで保温力抜群の「山専ボトル」にミルクティーを入れてきた。冬山ではペットボトルのままではザックに入れていても凍ってしまう事が多い。いちいち沸かさずに暖かい飲み物を飲めるのはメリットが大きい。昨晩入れたものだが熱々の状態で飲むことが出来た。
昼食後登りを再開するが、雪は2000m付近でうっすら出てきたが凍結と溶解を繰り返したようでガチガチに凍っているところが多い。その上に新雪がかぶっているので危険な状態だ。このあたりでようやくアイゼンを装着した。そういえば新しい靴にしたがサイズ調節してないや、と焦ったがそのままフィットし問題なし。硬い氷にアイゼンをきしませながら高度を上げていった。
途中の燕頭山(2105m)の前後から急激に風が強くなってきた。南アルプスは森林限界が高いのでまだ深い樹林帯だが、地上で味わう台風並の風が木々を揺さぶる。パン!というはじけた音がして鉄砲の音か!?とびっくりした。頻繁に聞こえるその音は、木の幹の内部が裂ける音である事が分かった。それほどに風は強く、つい最近倒れたという木をたくさん目にするようになる。いつ倒れてもおかしくないから、下敷きにならないよう注意しつつ進んだ。しばらく進み2200mを超えるあたりから急に雪の量が増えてきた。しかもトレースがない。これも予想の範囲内だが久々のラッセルという事になった。通常ひざ程度、時折腰程度という雪にうまるため歩みはかなり遅くなる。ただし急な斜面ではないのでそれほど体力は消耗せずに済んだ。今回の幕営地までもう少しというところで、ルートが二つに分かれた。標識はないのだが、赤テープが2方に分かれている。斜面を登るコースとトラバースするコースだ。トラバースする方は危険に思えたので斜面を登ったが赤テープが途絶え、方向もゴールとは違うほうに続いている。ここで、YTK所有のGPS(iPhoneアプリ)が役に立った。経度・緯度を測定しトラバースするルートが正しい事が分かった。今回はGPS使用に備え、地図に経度緯度線を引いた形で持っていったのが功を奏した。もちろん携帯電話の電波は届いてないので、地図のダウンロードは出来ないが経度緯度がわかるだけで十分だった。
程なくして標高2400付近の鳳凰小屋に到着。時刻は15:30.年末年始営業は29日からなので無人小屋となっている。ちなみに今日は登山者に誰一人として会わなかった。谷あいの地形とはいえ風が強いので冬季小屋を拝借し中にテントを張る事にした。
晩飯のYTKの奥さんに作ってもらったキムチチゲのペミカンを食べると心身温まり、冬山の醍醐味をじっくりかみしめられた。持参したウイスキーと焼酎をお湯でわり飲み20時には就寝。明日のラッセルに備えゆっくり休む事にした。

さて今日の収穫・反省点としては、
・山専ボトルは非常に便利。冬のテント山行必携アイテムに認定
・iPhoneのおまけ程度のGPSではあるが、自分の位置が分かるだけでも相当役立ちます
・チューブで吸うタイプの背負う水筒は、水筒部分が凍らなくてもチューブ内の水が凍るので使い物にならない
・携帯トイレは非常に有効。要はただのプラスチックボトルだが、テントの外の厳寒の空気に触れず用を足せるのは-15℃を下回る世界ではとても助かります(小のみ可)

2009.1.10 「2008.12.28の日記@」
夜中に寒さで時折目を覚ましたが、小屋常備の銀マット数枚を重ねているので底冷えはそれほど厳しくなかった。5時過ぎに起床し朝食の準備。並行してテルモスに入れる暖かい紅茶を作る。朝食はカレー。温めが不足してアツアツという感じにはならなかった。ザックのパッキングを終え靴を履くと足がすぐに冷えてくる。動かないと指先の感覚がなくなってくるのですぐに行動開始した。
今日のルートは、鳳凰小屋〜地蔵岳〜足を伸ばせれば観音岳〜鳳凰小屋〜ドンドコ沢経由の青木鉱泉〜御座石鉱泉だ。ただし、雪の具合から観音岳はほぼ無理かなという考えでまとまっている。外は軽い吹雪。いきなりルートがわかりづらいが膝上の深いラッセルでなんとか取り付きを発見。7:15頃登りを開始した。気温は−13℃くらいで風は吹いているが厳しいトレースでかなりの運動量となるため寒さは感じない。鳳凰小屋から地蔵岳は400m程度の登りであるが頂上はなかなか近づいて来ない。ラッセルは交代で行ったが、自分の方が消耗があったのと、YTKの念願?のラッセルという事もあり、3:7くらいの割合だった。しばらく進むと稜線に出る。ここで一気に風が強くなった。強い、というどころではなく強い台風に陸上で出会ったときよりも激しい。たまに体が浮くほどの強い風が吹くので耐風姿勢でしのぐ。ここまでは耳あて帽子のみであったが、地吹雪で顔が凍傷になりそうなので目出し帽にチェンジした。傾斜はそこそこあり、滑ったらなかなか止まりそうもない場所だ。雪は氷化しているので深いラッセルはなくなったが、風に遮られなかなか上に上がれない。途中岩陰で紅茶を飲む。体感温度−35℃以下なのは確実なので温かさが身にしみわたった。再び進み出すと今度は、雪と砂がミックスする地帯が続き足場がずるずると流れ安定しなくなった。頂上は目前なので力を振り絞って進んだ。
ここで話は変わるがこの登山の大きな目的のひとつとして、鳳凰三山からの白峰三山(主峰は北岳)の撮影があった。特に間近から見る北岳バットレスには並々ならぬ期待を持っていた。ようやく、その展望が拝める稜線に出ようとしていた。
・・・が、しかしその期待はあっけなく裏切られるのであった。少し前から予感はあったが、この地吹雪である。真上は時折青空も出るのだが東側の視界はかなり悪い。西側が見られる保障はどこにもなかった。結局稜線から眺めた白峰三山はその一峰どころか、もっと近い仙丈ケ岳や甲斐駒ケ岳もまったく見えない。強い季節風にのった氷雪が真正面から叩きつけるのみである。天気が回復傾向とはいえ、こんなところで待機していたら寒さで体がもたないので地蔵岳頂上の奇岩オベリスクを撮影し、観音岳もあきらめ早々に撤退する事にした。落胆はあったが、そんな事より早く安全な樹林帯まで戻りたい思いの方が強くなっていた。

2009.1.15 「2008.12.28の日記A」
 下りは尻セード等も出来る箇所があり、登りの倍のペースで下ることが出来た。樹林帯まで戻ると初めて別パーティーに出会った。女性3人のパーティーでどうやら夜叉神峠への縦走を行うようだ。3人とも我々より重い荷物を背負いワカンも持っていた。ラッセルの礼を言われ(初めての経験)すれ違った。下り+トレースありなので勢いよく進むと鳳凰小屋まではあっという間に戻る事が出来た。
 帰りは御座石からのルートではなくドンドコ沢を選んだ。先ほどの3人パーティーはドンドコ沢から来たようで、朝はなかったトレースがそちら方面に出来ていたのでちょうどよかった。これは助かったと思いつつそれに従い進んでいった。このあたりまで来ると樹林帯となり風はやや弱く、地蔵岳方面もよく見えた。もしかしたら今なら北岳は見えたのかなあ、と思いつつも考えてもしょうがないやとあきらめる。
 高度を下げていくと途中でトレースがなくなってしまった。不思議な事があるものだと思ったが、これは御座石鉱泉に戻ってから真相がわかった。女性3人のパーティーはドンドコ沢経由ではなく御座石鉱泉を出発したとの事であった。それなのにドンドコ側から鳳凰小屋に登った形跡があったのは、途中でルートをまたいでしまったからに違いなかった。昨日登りの際にルートがわからず分岐するトレースを付けてしまった。その誤ったルートの方に進んでしまったというわけだ。そこから無理やり尾根を越えれば確かにドンドコ沢のトレースがなくなったあたりには出ることになる。そのあたりの樹林帯にはテント泊の跡も明確に残っていた。鳳凰小屋まで進むつもりが深いラッセルとなり、日没のためやむを得ずこの場所に張ったというわけだ。後々になってだが申し訳ない事したなと思った。
 ドンドコ沢ルートは展望はそれほどよくないがいくつもの滝がある。完全凍結している滝はなかったがかなり見ごたえのあった。上から五色の滝、白糸の滝、鳳凰の滝、南精進ヶ滝と続く。特に南精進ヶ滝は高さもそこそこあり展望スポットもよい場所なのでかなりの枚数を撮影した。このドンドコ沢、滝はいいのだが道は結構歩きづらい。夏道なら気にならないだろうが、アイゼンを着けていると木の根っこがかなりじゃまになる。特に前爪があると引っ掛けないよう相当気を付けなければならない。自分のアイゼンは10本足で全て下向き爪なのでまだマシではあったがYTKは10本前爪ありなので苦労していた。
 南精進ヶ滝から少し進んだ地点でアクシデントがあった。道誤りである。青木鉱泉を示す「アオキ」の看板が前方を示している箇所の直後に、180度折り返す分岐点があったのだがそれに気づかずまっすぐ進んでしまったのだ。一見ルートに見える地形なのだが、その後は突然ガケのようになり、通行が困難になる。「これ道かなー?」とかなり怪しみつつ進むが木の根っこをつかまないと進めないようなトラバースが連続する。その先は一瞬道のようになるが少し進むと明らかに道ではなさそうな斜面だ。何度か行ったりきたりルートを探したが分からない。GPSも使ったが、そこまで細かい場所は割り出せずとりあえず標識まで戻る事にした。ここでさらにアクシデント!YTKがトラバース時につかまっていた岩(30cm×10cm×10cmくらい)がはがれたのだ。YTKの肩とひざをかすり自分の方に転がる途中でYTKがストックで止めた、が!ストックがぐにゃりと曲がってゆっくり自分の方へ。速度は無かったのでかわしたが、急斜面だったので近くの岩とストックを巻き込みすごい勢いで落ちていった。。一瞬肝を冷やしたがYTKも打撲のみですみ事なきを得た。。
先ほどの「アオキ」看板まで戻るとヘアピン気味に曲がったルートにようやく気付き、正式ルートに戻る事が出来た。
川沿いに緩やかに下るといよいよ青木鉱泉に到着。この登山も95%終了。・・・がしかし残り5%にとんでもない事が起こってしまったのであった。。。(続く)
2009.1.20 「2008.12.28の日記B」
 青木鉱泉につく頃は、4時を過ぎていてあたりはだいぶ暗くなってきていた。あとは、1時間ほど歩けば車がある御座石鉱泉に戻ることが出来る。道迷い等のアクシデントがあったから、さっさと車に戻ってゆったりしたいものだ。ここは車がこられる場所であるため小さな道があり、登山口を探すことになる。方位を確かめつつ探すと程なく見つかった。ただ登山道のほうを見て少し不安がよぎった。樹林帯で斜面もあり暗いのである。とはいえ歩いて1時間程度であれば、ヘッドランプもあるので大丈夫だろう。そう考えて進みだした。最後の1時間はあまり地図を詳しく見てなかったため気づかなかったが150mほど登って峠をこしてから降りるルートであった。しばらく進むと急登となり道がじぐざぐになり始めた。このあたりから笹が生い茂って、かつ踏み跡が不明瞭なためほとんどけもの道か?という程度のルートとなった。ここでかなり強い不安を感じた。
 迷うのでは?
 と思ったのである。ここで引き返して青木鉱泉までタクシーを呼べば、金はかかってしまうが確実に御座石鉱泉に戻ることが出来るのだ。ただ、あと45分くらい歩けばゴールでもある。標高線を見ると、もう少し登ればあとは平地となって最後は下るだけだ。タクシーの事は頭から消え、やや急いで登り始めた。途中でさらに道が不明瞭になったが、なんとか登り切り平地になった。登山の終盤に来て今までにないペースで登ったので正直息が上がった。あたりはかなり暗くなったためヘッドランプを点灯した。ルートが西寄りになる事を確認し、実際のルートもそっちに続いている事を確認した。焦りからか、進むスピードは自然と速くなった。何度か道がわからなくなる箇所があったが、ランプで照らして何とかルートを探り出した。正直このあたりからどこが踏み跡かかなりあやしい状態となっていた。地図を見ておそらくこのあたりを歩いているのだろうと、北東を目指して進んでいくと遠くに灯りが見えた!いよいよ御座石鉱泉か?このあたりで建物があるのは御座石鉱泉くらいしかない。やっと目的地が見えた。。。道も急な下りになっているので間違いないだろう。ややほっとした気分になった。あとは道がよくわからなくても目標に向かえばなんとかなるだろう。ただ地図上に川があるけどどうやって、わたろうか?などという事を考えて斜面を下り始めた。今にして思うとこのあたりで明らかにルートをロストしていた。下りの斜面はかなり急で、ルートは明らかに外しているため相当危険だ。危険ルートを避けつつ灯りを目指していったが急な崖のような箇所も出てきた。ずっと歩きづめだったので少し現状整理の意味も込めて休むことにした。
 ・・・そこで!・・・とんでもない事に気づいてしまった! 冷静に地図を見ると灯りは真東に見えるのである。本来、北西に見えなければいけない地点で、だ。東に見える地点を辿ってみると相当遠くである上、川を渡ってさらに登ったような場所であるため、知らぬ間にそこまで歩いたとは考えにくい。とすると灯りは別の建物か?いや、このあたりには御座石鉱泉以外ありえない。あの灯りはなんなのか?今はどこを歩いているのか?二人でいろいろと考えたが結局わからなかった。。
 どっと疲れが出てきた。今日は朝7時から行動してラッセルもあった。すでに行動時間12時間半を過ぎ体力的には相当消耗していた。・・・その後どうするかの結論はすぐに二人で出した。
そう、ビバークである。体力の消耗具合に加えこの暗闇ではリスクが大きすぎる。明日は休みだし明るくなってから出直そうという事にした。標高は1200m程度なので大した寒さはないし、なによりテントがある。まずは少し登り返して平らな場所を探す事にした。30m程度登ると完全な平面ではないが、そこらを見渡した限りでは一番まともな平地があったのでここを今晩の緊急幕営地とした。そこでYTKの家族に電話して日没ビバークのため今日帰れない旨を伝えた。ソフトバンクを2台持ってきてもしょうがないので、自分は会社支給のAUの携帯を持ってきていたが、それが功を奏した(SBは通じなかった)。本来は今日帰る予定だったので、とりあえず無用な心配をかけずに済む(捜索願いも出されないで済む)。余計なものはすべてテントの外に出し広々としたテント内に横たわった。いざビバークと決めてしまえば、朝を迎えるのを待つだけである。疲れているのでたっぷり眠れるだろう。楽観的なビバークにしたかったが一つ非常に大きな問題(不安)があった。
 ・・・水が無いのであった。。。
 インスタント麺等の非常食は残っていたが、水分となるものは自分の水筒にある紅茶60cc程度であったので作ることは出来ない。青木鉱泉に水場はあったのだが、あと1時間で終わりだという考えで補給しなかったのである。2000m以上であれば水に出来る雪はいくらでもあるが、ここは低山でそれも望めない。食欲もそれほどなかったため、お湯を沸かさなくても食べられるチョコレートとアンパンを二人で分けて夕食代わりにした。のどの渇きは、コップに注いだ紅茶20cc程度を分ける事でまぎらわした。
・・・続く

2009.1.29 「2008.12.28〜29日記」
 食事が済む頃にはあたりは真っ暗になった。また長い10時間になりそうだ。。覚悟を決めてさっさと寝ることにした。
。。。が、、、
 しーんと静まったあたりからはパキッ、パキッと枝の折れる音がしょっちゅう聞こえる。さらにガサガサと獣の徘徊する音が。。
一体どれだけの動物があたりにいるのか?! なんとなく不安になった。まさかとは思うが、熊はさすがに出ないよな?とか狼は日本では絶滅したんだよな?とか今考えるとビビリまくり(笑)というほど色々考えてしまった。遠くからガサガサ歩いてきてテントの前で止まる。。と思ったら、シュラフの足を動かした音だった。。なんていう事もあった。丹沢で鹿が歩き回る中でビバークをしたYTKは全く動じていないようだった。音が聞こえないようにシュラフに潜り込んでからは少しは落ち着いた。がしかし、脱水症状が原因か不安感のせいかわからないが自分の心拍数がうるさ過ぎてほとんど眠ることは出来なかった。。
 その間に明日朝起きてからの事を色々と考えた。明るくなれば見通しがよいので、迷った道をリカバリする事が出来るだろうか。。この喉の渇きは、朝にテントに結露した水分を舐める事で癒せるだろうか。。天気はどうだろうか。晴れたほうが道を探しやすいが雨の方が水分を摂れるかも。。。
 朝は5時半くらいから少しずつ明るくなってきた。6時過ぎになったら、空身で偵察をしようという事で準備を始めた。夜中のうちに喉が渇いたので20ccの紅茶を二人で分けて飲んだ。
 テントの外に出るとさすがに寒かったがおそらくマイナス10℃には達していないだろう。風が全く無いので体を動かしだせば寒さは無くなった。周辺の偵察にあたり、テントにものを放置していくので迷うことは絶対に許されない。自分は夜中に考え付いた案を実行した。青や黄色の目立つ装備、スパッツにテントシューズを目印として40mくらいおきに木に引っ掛けて道迷い防止をするというものだ。最大4つの目印を使えば200mほどは足を伸ばせる。分かりやすい地形のところはもっと目印間隔を伸ばして、おそらく最大400mほどはルート探しのために移動した。。
 ところが、、1時間程度探し回っても御座石鉱泉はもちろん登山道にも戻れなかった。途中木に赤ペイントがあるところを発見して、「ルート復帰か!?」と喜んだのだが、市だか町だかの境界線みたいなものに過ぎず、続いていく方向からしてもルートではないように思え引き返した。水がないので余計な体力は使いたくないのだが、気持ちは焦ってぐるぐると歩き回ってしまった。。
 色々と考えを巡らしたが、結論は出ないのでいったんテントに戻る事にした。テントに戻り荷物をまとめ、今後の方針を決断する事にした。

1.ルートはよくわからないが、今のだいたいの位置はわかっているので北西に進路をとり御座石鉱泉を目指す
2.ルートはよくわからないが、青木鉱泉に戻るべく南方向に進路をとる。
3.ここにある人工物は、境界線を示す赤ペイントだけなのでそれに従って東に進む。とにかく東に突っ切れば道路があるのは明らか

 1は谷あいの地形を進み、迷った場合深みにはまるようなので却下。3は、最初YTKが考えていたが、進めば進むほど坂が急になるし道路の前に沢があるので最悪渡れないかもしれない。沢で水を飲める希望はあったが地図で見ると斜面が急なので却下。結局二人とも2案で行こうという結論になった。南方面に進めば多少ルートをはずしても青木鉱泉付近の平らな場所に出そうだ、という思考も決断を後押しした。
 そうと決まれば南進あるのみ。テントをたたんで出発するのだが、体力の低下を激しく感じた自分は不要な装備を捨てて行くことにした。それでこの渇きを少しでも防げるのであれば、という思いであった。最悪のケースに備えテントはもちろん捨てられない。自分が捨てたのはなんと、アイゼンとピッケルであった。。雪はない場所なので不要な装備ではあるが今考えるとなんと思い切った事をしたものか。。「岳人の魂」といわれるピッケルを捨てるとは。。。
 ただ、それぐらい追い詰められていたのは確かであり、今日も夜まで迷ったままだったら携帯で救助申請をするか?ぐらいの不安感があった。それぐらい山での道迷いは精神的に厳しいものであるのだ。冬の八ヶ岳での日没ビバークよりも不安は大きかった。あのときは寒さに耐え朝にさえなれば道を進むだけだったのに対し、山で進むべき道がわからないというのはある意味とてつもない「恐怖」なのだ。



 結局、それから15分も歩かないうちに登山道に復帰出来それから20分程度で御座石鉱泉には戻る事が出来た。
 今回の経験はほんとうにいい薬になった。暗くなってからの行動は厳禁。八ヶ岳や北アルプスのように登山道がしっかりしていて、通った経験があるならまだしも、獣道のような登山道で始めて通るルートでは今回の事態は起こるべくして起こったともいえる。
 最悪の救助申請という事態は免れ自力で降りられたのは運が良かった。。小屋が見えた時の安堵感は今まで生きてきて一番だったのでは?と思えるほどであった。。小屋で買ったポカリを飲んだ時の水分のありがたさは格別のものであった。飲み終わった後に缶の裏を見ると、2008年4月で賞味期限切れのものであった(8ヶ月切れ)。。体調は壊さなかったが。。。

2009.2.9
この前、全豪オープンファイナルを見たが。。。すごい試合だった。フェデラー vs ナダルなのだが、去年のウィンブルドンを思い出すような攻防。彼らのメンタルは一体どういう鍛え方をされているのか。。テレビの前でうなるばかりだった。結果はナダルの全豪初優勝に終わったが、閉会式がまた泣けた。。準優勝のコメントでフェデラーにマイクが渡ると、観客の励ます声が多く思わずフェデラーが号泣。こっちも泣けてきた(笑)。その後落ち着いてからのお互いのコメントは短いながらも健闘を讃え合うものでまたまたほろっときてしまった。。
フェデラーの時代が終わってはいないと思うが、ナダルとは相性が悪いのだろうか。。いずれにせよこの二人の勝負には今年も目が離せなくなりそうだ。

2009.5.8
しばらく更新をさぼっていたが、GWに北ア唐松岳に登ったのと念願の独自ドメイン「hsstk.com」を取得したのを契機に活動を活発化させようかと思ってます。正月の南ア薬師岳以来、約4ヶ月ぶりの登山。残雪期北アという事で初級コースの唐松・五竜縦走を試みたが、天気が下り坂&体力的に自信なしという事で唐松往復に変更。天気は悪くはないが青空も出ずパッとしない感じ。とはいえ、丸山ケルンから眺めた不帰の瞼(かえらずのけん)はすごい迫力でした。完全なるバリエーションルート。ビレイ技術をきっちり学ばない限りは行ってはならない領域でしょう。。

2009.5.10
車中泊山行のススメ

今回の北アルプス唐松岳山行では以下のルートをたどったのだが、高速1000円の恩恵を受け旅費が非常に安くなった。

横浜 〜 八王子バイパス 130円 〜 中央道 八王子IC 〜 長野道 豊科IC 1000円 〜 八方尾根スキー場駐車場 車中泊 +駐車場代500円
往路リフト代1人1800円 (10kg以上の荷上げ賃含む)
唐松小屋 テント場宿泊 トイレ利用含め1人700円
復路リフト代1人1000円
帰りの高速 長野道 長野IC 〜 関越道 東松山IC 1000円
関越道 鶴ヶ島IC 〜 あきるのIC 1050円 〜八王子バイパス 130円 〜 横浜
ガソリン代約 5000円

2泊3日の山行が、なんと一人あたり 7900円!

車中泊とテント泊というのが、一番効いてきてはいるのであるが相当安いと思いませんか?しかも車中泊というと椅子を倒して寝るだけであまり寝られないのでは?と思う人がいるかもしれませんが、、非常に快適なのです。エクストレイルの後部座席を倒すとちょうど2人分のシュラフがしけるスペースになる(オプションのウォッシャブルラゲッジは必要)のでテントよりはるかに快適に過ごせます。銀マットにサーマレストをしけば床の固さは全く気になりません。枕さえよいものを持っていけばぐっすり眠れるのです。今回は駐車のロケーションを誤ったため、5時くらいに騒がしい中年登山客連中が周りで騒いていて起こされてしまいましたが、静かな場所ならぐっすりのはずです。ザック類は前座席に置けるし、ストック・ピッケル等長い物はラゲッジにしまえるし、、、このためにエクストレイルを買ったわけではありませんが、相当気に入ってます。

工夫点としては、外や明るさが気にある人はカーテンやサンシェードで窓を塞げばプライベート空間になります。あと、我々のように酒盛りをする人はカップホルダー類があるとよいでしょう。こぼすと大変なので。あとライトは、テント泊用のランタンがあれば問題なし。車内灯を使わずに済みます。

2009.5.11
熱帯魚は最近それほど手を入れてはいないが順調だ。ひさびさに写真を撮ったので掲載。前面下部はウィローモスが爆増、右側には半年ほど前に入れた流木を立体的に配している。


2009.5.23
ドメイン移行して、CGI(サーバ上で動かすプログラムと思ってください)が自由に動かせるようになったのでアクセス解析を付けました。以前もCGIは掲示板やカウンタ使ってましたが、すべてyakken.comに置かせてもらっていたものでした。なのであまり頻繁にいじる事はしていませんでした。素材としてはKENTさんのもので、とてもシンプルですが必要最低な項目は満たしています。今日時点で取得したレポートをサンプルとして表示しますが、こんな感じです。(スナップショットなので、この中身は更新されません)

2009.5.24
昨日は会社の組合の行事でフットサルに参加。フットサルなんてやるのは学生時代以来か?最近はテニスやら登山をやっているので出来るだろう、とタカをくくっていたがやってみると異常につらい! 本日すでにかなりの筋肉痛です。。
わかったのだが、基本的に使う筋肉がかなり違う。テニスでもダッシュはする事は多いが、フットサルは継続的に行うので自信があった心肺能力にもそこそこの負担がかかる。けどそっちのリミットより先に乳酸がたまって足が動かなくなる方が早かった。年を感じてしまうひと時でした。それでも一応点も取れたしなかなか盛り上がるひと時でした。

2009.11.23
かなりひさびさに書きます。。山には会社の仲間と、8月富士山、10月末北八ヶ岳と行ってはいたが体調はベストに程遠く結構バテた山行になった。そんな中、雪山シーズンに突入。昨シーズンはあまり充実した山行がなかったので今年こそは、という事で手始めに南八ヶ岳に行ってきた。赤岳では芸が無いので全シーズン通して初の「権現岳」にYTKとチャレンジ。今冬まともに降ったのは2回ほどだったようだが、思ったよりは雪がありピッケルを持っていかなかった事を失敗したかな?という場面も数度あった。夜は曇ったため放射冷却が無く、冷え込みは-12℃程度。とはいえ1年ぶりの冬山テント泊はやはり寒かった。近いうちにレポートか写真集でもアップします。

2009.12.28
宝剣岳にいってきました。本格的な冬山は今シーズン初。サギダルの頭は冬季のみのバリエーションルートと知ってはいたが、ビレイが必要とは知らなかった。ザイルなしで突っ込み、「これ以上無理」ところから危険な撤退をしました。この写真の赤線を往復してきたイメージです。下調べ不足はホント危険ですね。。

2010.1.6
初の入院をしました。。明日手術です。大したものではないのですが胆のう腺筋症と胆石でかなり長いこと経過観察してきましたが、いよいよ取る事にしました。1週間の予定ですがヒマつぶし用にiPhoneも購入。

2010.1.7
初の手術。ストレッチャーに載せられると一気に緊張感が高まってきた。。ただ、手術室に入ってしまったら段取りがいいものであっという間に開始。すぐ麻酔で一瞬で寝てしまい手術しらぬ間に終わっていた。・・・・・2,3時間後、麻酔がさめた後徐々に腹の傷口が痛くなってきた。。何度か痛み止めの点滴をしてもらいどうにか耐える。鼻がつまり人工呼吸器での口呼吸のせいでのどが異常に渇いて辛かった。。
2010.1.8
翌朝には、自室に戻った。立ち上がるのも大変なら、寝るのも大変。なにしろ傷口が痛い。。腹腔鏡手術で傷は小さいとはいえ、中まで通じている口が4つ。デッカイ切り口の開復手術とかはホント大変なんだな。。相当体力削られるわ、、とつくづく思った。

2010.1.10
3日後くらいになると、もうかなり自由に動けるようになる。ゆ着とかを防ぐためなのか、なるべく動いてくださいと言われる。立ってるだけでもよいと言われたのでなるべくベッドを離れるようにはした。腹筋はさすがに出来ないのでスクワットくらいはと思いたまに実施。ヒマつぶしに本を持ってきてはいたがすぐ読み終わってしまい、いよいよiPhoneが真価を発揮する時がきた。まだ買いたてで大してアプリも落としてない状態ではあったがブラウザだけでも使える!さらに秀逸はBB2C!iPhone専用2chビュアーだが、PCの普通のサイトより断然見やすい。山関連のサイトを見てたらあっという間に時間が過ぎた(笑)

2010.1.14
無事退院。病院の中がかなり暖かかったせいか、外はひどく寒く感じられた。そこそこの荷物があったので家帰るだけでも結構疲れた感じ。久々の家はかなり冷え切っている気がしたが、人が生活すればまたあったまるだろう。見舞いきてくれた人たちはどうもでした。

2010.2.15(丹沢1日目@)
退院からほぼ1ヶ月。手術後初の登山にいってきました。会社の同じ部署のメンバー計8人。冬山初の面子がほとんどである事、自分もリハビリという事も考慮し近場の丹沢をセレクト。ヤビツから塔ノ岳、尊仏山荘泊まりで翌日宮ヶ瀬、というコースを考えていたが、ヤビツ行きのバスが路面凍結で運休。急遽渋沢に移動し、大倉尾根から登る事にした。登山道入り口へ向かうタクシーで既に降雪あり。雪の中の登り出しとなった。5合目からの富士山と同じ標高差を登ると話したところ、「きついなあ〜」という反応が多々あり。ただ、結果としては皆いいペースで登ったのではないだろうか。少ないが、雪もある程度はあり軽アイゼンも装着し足が重い状態ながらも全員無事尊物山荘に到着。途中シカに出会う事も2度あった(続く)

2010.2.15(丹沢1日目A)
宿には早め(2時半頃)着いたのだが、腹が減ってるのでカップ麺を食べた。チリトマトとかいうのを初めて食べたが案外いけた。その後寝不足の人たちは軽く仮眠。自分も3時間くらいしか寝てなかったので軽く寝たが、、寒い寒い。布団ちゃんと入らないとかなり寒い。というのも、この宿自慢の大石油ストーブが着いていないからだ。4時ころから着けるとの事。
夕食は5時頃だったか。。半数が宿飯で半数が自炊。自分は自炊組。ここに止まるのは3回目だが初の自炊。しかしやらかしてしまった。。あっためおわったにくじゃがを一口食べたところで皿ごとひっくりかえしてしまった。テント泊のせまい中ですらやった事無いのに、、。ショックのあまり非常食のパスタをやけ食い?してしまった。その後宿飯組と合流し酒を飲んだ。缶ビールは350mlで500円。まあ山では妥当な値段だ。
今回の山行の大目的である「夜景鑑賞」だが、雲がまったく切れず、というかまだ雪降ってたか忘れたがとにかくNG。夜中と朝方に望みを託すか。。という事で消灯。(続く)

2010.3.24
上の写真リンク切れてましたね。サギダル敗退地点までのルートアップしました(笑)。

2010.3.27(丹沢2日目@)
夜中トイレいくたびに確認したが、結局ちょっと雲が切れた程度で満足のいく夜景は見られなかった。ぜひとも皆に見て欲しかったので残念。
朝食は5時半頃から。とっとと済ませ日の出写真を狙った。雪をまとった木々を前景に、よい構図で撮れた。だが、結局この日は以降晴れることはほぼ皆無だった。
食後は時間をおかずすぐ出発することにした。というのも、本日の行程は結構長いからだ。あまりゆっくりしていると最悪日没を迎えてしまう可能性もあるのだ。まずは丹沢山を目指して、塔ノ岳を下るルートを進みだした。雪の量はやはり大倉尾根よりは多い。丹沢は広いがやはり深部や北斜面の積雪が特に多いと感じる。蛭ヶ岳〜檜洞丸あたり、丹沢核心部の北尾根がおそらく最も多いのではないか。今回はそこらは通らないが、丹沢の北斜面は多いであろうと予想していた。丹沢山まで特に問題なかったが気になることがあった。枝がガチャガチャいうほど凍っているのである。異常な重みで垂れ下がっている木をたくさん見かけた。(続く)

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2010.4.24(丹沢2日目A)
ガチャガチャいっていたものの正体は雨氷であった。「雨氷」とは温度の逆転層が出来て、空はプラスで地上がマイナスの時に雨が降ると降ったそばから凍っていく現象だ。木の枝などこのとおり枝の何倍もの氷が着く。雪に較べ比重が断然重いため、枝が折れそうなほどしなり、枝同士がぶつかれば太い氷がぶつかりガチャガチャいうのだ。結構な回数登山をしているが見たのは今回が初めてであった。
一応百名山という事で、丹沢山頂では記念写真を撮影。すぐに宮ヶ瀬に向け尾根を下り始めた。このコースは初めてである。雨氷による凍結具合は地面も一緒で、薄く積もった雪の下にツルツルの氷が潜んでおり危険この上ない。実際メンバーはほとんどスリップを起こして転倒した人も多かった。とはいえ初のアイゼンの人が多い中、練習にはもってこいのコンディションだったかもしれない。アイゼンはほとんどの人6本爪以上だが、3人ほど簡易の4本爪。今回の凍結具合では4本は少し厳しかったようだ。本人達はケチって失敗したとの事(笑) 確かに金で安全が買えれば安いものか。。
宮ヶ瀬に向けては小ピークが3つほどある。思ったよりアップダウンがあり、登りは汗ばむほどだ。3つ目のピークで昼ごはん。お湯を沸かしておのおの持ち寄った昼食をとった。気温はマイナス5度くらいであっただろうか。暖かい麺類で体があったまった。
その後は若干足を傷めたメンバーが出たため、ゆっくり目に進む。途中で自分はアイゼンだんごが出来まくり外したが、その後に危険箇所がありちょっと怖い目に。宮ヶ瀬ルートは今まで行った丹沢の中ではそこそこ注意箇所が多く、ただのトレッキングよりは個人的には楽しめた気がする。
長い下りを終えたときは16時近くにはなっていた。帰りの本厚木駅行きバスは、結構みな爆睡モードだったかも、というくらい疲れてました。。(了)


 
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